市立特別支援学校10校と高校1校を大阪府に移管構想:大阪市

 大阪府と大阪市は1月28日の府市統合本部会議で、大阪市立の特別支援学校全10校と、大阪市立高校(大阪府枚方市)の府立移管方針を決めた。大阪都構想に伴うもので、2015年4月の移管を目指すという。

 大阪都構想では大阪府と大阪市を一元化し(実質的には大阪市の解体)、現大阪市域を特別区に分割するとしている。市立の特別支援学校と高校については「二重行政」として、特別支援学校10校・高校20校全校の府立移管を打ち出している。

 高校については早期の全校移管は困難と判断し、歴史的経緯で郊外にある大阪市立高校から手を付けることにしたという。

 しかし学校設置者が府と大阪市に分かれていることが「二重行政」というのは、全くの言いがかりである。入学試験の実施や通学区域の設定などは、大阪府と大阪市の教育委員会が実務レベルで協議して、統一して実施している。現行方式でも何の不便もなく進んできたものである。

 また歴史的にも、府と市それぞれの必要性から学校が設置された経緯がある。

 特別支援学校については、戦前から府と市それぞれが盲学校・聾学校を設置してきた。また知的障害児教育についても、大阪市では戦前からの長い研究の歴史を有し、日本初の知的障害児対象の学校として1940年に大阪市立思斉学校(現・大阪市立思斉特別支援学校)が開校している。
 戦後の制度の整備で、特別支援学校は主に都道府県が設置主体となったが、市町村立特別支援学校の設置も妨げず、大阪市内については市立の養護学校(特別支援学校)が整備されてきた。

 高等学校については、以下の歴史がある。

 1900年に大阪市内の中等教育について、府が普通教育(旧制中学校・高等女学校)を主に担い、大阪市が実業教育(商業学校・工業学校)を主に担うという原則「大阪府教育十カ年計画」が出され、それにそって各旧制中等教育学校が整備されてきた。

 時代が下って中等普通教育の需要が府だけではまかないきれなくなり、大阪市立の高等女学校や旧制中学校も設置された。

 大阪市立高校は大阪市立としては最初の旧制中学校・大阪市立中学校として1941年に創立。創立当初は今の此花区に仮校舎を置いていたが、将来の旧制高等学校(7年制)への改編を視野に入れて大阪市内の設置にこだわらず、郊外に設置することも検討していた。当時中等教育機関の誘致を検討していた北河内郡枚方町(現在の枚方市)が誘致に名乗りをあげ、1943年に現在地に校舎を構えた。

 後に別の旧制中学校も創立したことや学制改革もあり、固有の校名をつけることも検討されたが、結果的に固有校名の付かない「大阪市立高等学校」として新制高校に移行し、通称の「いちりつ(市立)」が定着して現在に至っている。

 市立高校は立地条件から学校周辺の北河内地域からも調整区域として生徒を受け入れるが、本来の学区は大阪市内とし、大阪市在住の生徒が一定割合になるように運営されてきた。1978年に一度府立移管の計画が持ち上がったものの、当時の教職員や卒業生から猛反対にあい、計画は白紙撤回されている。

 その後、府内全域から出願できる英語科・理数科の併設や、学区の広域化(2014年度入試より学区を撤廃予定)もあり、大阪市在住の生徒の割合が減少しているという。しかし歴史的経緯を考えても、大阪市が学校運営から手を引く理由など考えられない。

 府立移管の大義名分は「大阪都構想」だが、そもそもこの構想自体が、住民生活にとって必要なのか疑問視される代物であり、問題点も明らかになっている。2015年4月に大阪都に移行するなどという当初計画も、計画に穴が見えてきたことで大阪維新の会以外の各会派は反対・慎重の姿勢を崩さず、計画通りに移行するのかも怪しげな状況になっている。特別支援学校や高校を勝手に府に譲渡して既成事実をつくろうとするなど、異常としか言いようがない。

(参考)
◎「大阪都構想」見据え、特別支援学校を府に一本化 大阪市から全10校 枚方の大阪市立高も(産経新聞 2014/1/28)