大阪市の中学校給食は2012年度の2学期より導入された。それから10年半、毎日新聞2023年3月18日付が記事『7割超の生徒が食べ残した大阪の「冷たい給食」 大変貌の理由』を掲載している。

記事では、以下の出だしで始まっている。
「おかずが冷たい」。そんな不評を買い、7割を超える生徒が食べ残すという給食があった。それから10年。「冷たい給食」は大きな変貌を遂げていた。
大阪市の中学校給食については、2012年9月の開始当初は選択制デリバリー弁当となり、その後2014年にデリバリー弁当方式のまま全員喫食制へと移行した。しかし「おかずが冷たくておいしくない」などの不評がでて、大きな問題となった。その後2015年8月、橋下徹大阪市長(当時)が「学校調理方式」(自校調理方式と、近隣の小学校で調理したものを中学校に搬入する「親子調理方式」を、学校の実情に応じて併用)への段階的な移行を打ち出し、2019年2学期に移行が完了したという経過になっている。
記事では、以下のような文章が掲載されている。
政令市でも数少ない「家庭弁当派」だった大阪市の市立中学校で給食が始まったのは2012年9月。貧困などの理由で満足に食べられない生徒が多いとの理由から橋下徹市長(当時)の肝煎りで導入された。
しかしこの文章は、不正確と言わざるをえない。
「橋下市長の肝いり」で導入されたのでなく、その前任の平松邦夫市長の時代から準備されていたもの。
平松氏は「中学校給食の導入」を重点公約に掲げて、2007年に大阪市長に当選した。その一方で中学校給食導入には準備に時間がかかるなどし、また当時の橋下徹・大阪府知事が大阪市への給食導入の財源補助を拒否したことなど、困難な条件が重なった。任期満了直前の2011年9月になってひとまずは選択制弁当方式での実施として「2012年度の中学校給食導入」の予算案が提出された。全会一致で可決され、2012年度からの中学校給食導入が決まった。
しかしその直後の2011年11月の大阪市長選挙で、平松市長は敗れ、橋下徹氏が新しい市長に就任した。中学校給食については、平松市長の時代に付けた予算がそのまま執行され、2012年9月より選択制デリバリー弁当方式での給食となった。
しかし実際に導入してみると、選択率が低迷した。選択率の低さを問題視した橋下市長が2014年4月、弁当方式のままで全員喫食制へと移行した経過。
そのことで、「おかずが冷やされた状態で出てきておいしくない」などの中学生からの声が大きくなり、残食率が多くなったなどの状況が生まれた。また異物混入などの問題も報告された。
中学校給食問題は大阪市会でも問題視された。しかし橋下市長は当初、「食育がなっていない」「親子調理方式への移行などは考えていない」などとして、中学校給食改善には消極的だった。
また弁当形式給食改善をめぐって打ち出したのが「ふりかけ持参を認める」という論議だったことも思い出す。
2015年8月、大阪市会の「中学生子ども議会」に参加した中学生が、給食の状況を訴えた。橋下市長は「子ども議会」での答弁の形で、それまでの方針を変更し、学校調理方式への段階的な移行方針を初めて表明した。2015年度2学期より、中学校1校での「親子方式」への移行と、施設一体型小中一貫校の中学校3校での自校調理方式への移行を試行した。翌2016年度より本格的な移行が段階的に始まり、2019年度2学期に全中学校での移行が完了した。
10年間の維新行政で不要な混乱
これらの経過を踏まえた上で、大阪市での中学校給食の導入や発展をめぐる経過は、決して「維新の市政だから発展した」ということに矮小化してはいけないだろう。そのような単純な評価が出来るようなものではない。
むしろ、当時の橋下市長や市政与党の維新は、前市政で準備されてきたものは受け継ぎながら、不具合が判明しても対処能力を持たず、迷走の度合いを必要以上に強めたとも批判されるべき状態になっていた。
中学校給食導入は全国的な流れ
また大阪市特有の課題だけではなく、全国的な傾向として、この十数年ほどは中学校給食の導入の世論が各地で高まっていたという背景も視野に入れる必要がある。自校調理方式、親子方式、給食センター方式、デリバリー弁当方式、または全員給食や選択制の違いはあるが、各地で中学校給食の導入が進んでいる。
一方で「全員喫食制のデリバリー弁当方式」では、初期コストは安く抑えられるものの、中学生や住民からの不満が高まるという傾向も指摘されている。
大阪市で起きたことは、全国的にも、中学校給食をめぐる諸課題が悪い形で吹き出した典型例のようにも思える。