「探究」授業で陥りがちな危うさ

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ツイッターで見かけたツイート。

近年の学校教育では、考える力・探究・生徒の主体的な学習の観点がより強まっている。その一方で、歴史教育でヘタなことをして、一部にはゆがみが生じているのではないかという指摘。

もちろん、考える力や生徒が主体的に学習し探究する能力は、それ自体は必要なものではある。その一方で、授業のテーマや題材によっては、このような極めてまずいことになってしまいかねない。

第二次世界大戦でのヨーロッパや世界において、「ドイツが戦争に勝利していたらどうなったか」という仮説を立てること自体は、理論的にはありうるのかもしれない。しかしながら、それを論じるには膨大な基礎知識が必要になる。知識がないまま突っ走ると、通説や定説とされているものと「トンデモ」を、まるで並立するものかのように扱ってしまって、おかしな方向性に突っ走ってしまいかねない。高校生段階では扱いが難しいテーマ設定になってしまう。

またツイッターで指摘されている教育実践についても、人権侵害や歴史修正主義など現代社会の到達点とは明らかに相容れないものを「生徒の主体的な取り組みの上での結論なのでOK」とするという状況につながりかねないのならば、授業の目的自体を放棄するものになってしまいかねない。

「生徒の主体的な取り組み」を理由に、おかしな方向性に走っても修正が効かないというのなら、とんでもないことになってしまう。

探究や主体的な調査の視点については、題材の選定、適切なフォローも含めて、授業担当教員が必要な指導・援助を入れられるような授業手法を追求していくことも、同時に必要になってくると感じる。

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