筆算の線を「定規で引く」、指導にはどんな背景が?

 西日本新聞2019年9月24日付に『筆算の線、手書きなぜダメ? 小5が160問「書き直し」命じられる 指導の背景は』が掲載されている。

算数の筆算指導で「定規で線」

 記事では、投書として以下のような内容が紹介されている。

 「福岡県内の小学校に通う5年男子児童が、筆算の計算式を書くときに定規を使って線を引くよう指導された。かねてからその指導に疑問を持っていた当該児童は、夏休みの宿題では定規を使わずに筆算の計算式の線を引いて夏休みの宿題を提出したところ、担任教員から約160問を定規を使って書き直すよう指示された。保護者が理由を聞くと『計算ミスが減るし、みんなにやらせている』と返ってきた」(要約)

 声を寄せたこの女性は、「計算のリズムが崩れるし、自分なりのノートの取り方を見つけるのも勉強ではないか」と疑問を呈している。

 西日本新聞の取材によると、ほかにも同様に「筆算をノートに書く際、定規で線を引かせている」という指導があったという。

 ある教員は「低学年の段階では、定規で線を引く動作は意外に難しく、練習になる」「高学年では、手書きよりも計算過程が見直しやすい。面倒くさがらずにやる子の方が学力が伸びる」などと理由を説明した。「30年前にはそう指導していた」と話すベテラン教員もいた。一方で別の保護者は、疑問を持って学校に問い合わせたところ「学年で(そういう指導方法を統一して)決めている」という答えが返ってきたという。

「決まりを守らせること」そのものが目的化していないか

 筆算では、計算の過程を理解し、また正しく計算できているかどうかということが重要である。「定規で線」は枝葉末節に属することではある。

 入門段階では、計算間違いなどを防ぐために・またあとから見直しやすくするために、できるだけ丁寧に書くという指導も、「定規で線」という具体的な手法にこだわるかどうかは別としても、指導としては重要な視点ではある。また一般的にも、読みやすい字を書くということを指導することは、国語科の書写分野に限らず他教科や教科外活動も含めた学校教育全体での指導を通じて、重要であることはいうまでもない。

 しかしその一方で、「算数の筆算の計算式を書くときに、定規で線を引く」ことがいつの間にかそれ自体が目的となり、指導している側も理由を説明できずに一方的に押しつけたり、計算の過程という重要なことを忘れて、従わない児童に書き直しを命じるのならば本末転倒ではないか。

 定規の例では、当該児童のノートの様子が画像として写っている。単に定規で線を引いていないというだけで、それ以外のところには特に「問題」はなさそうなものである。「計算のリズムが崩れるし、自分なりのノートの取り方を見つけるのも勉強ではないか」という意見も、それも成り立つことになる。

 なぜそのような「決まり」「ルール」を作ったのかという検証や理由を、指導する側が理解することなしに、「決まり」「ルール」だと押しつけても矛盾が出てしまう。「筆算での定規」にしても、ネット上などで以前から時々話題になっている「かけ算の順序問題」「さくらんぼ計算」にしても、入門段階でわかりやすく導入する指導法として考案されたものであろうが、そのことへの理解なしに機械的一面的なマニュアルとして押しつけると、逆に算数・数学の指導としても矛盾が出ておかしくなってしまう。

 マニュアル化がいきすぎることによって、「理不尽な指導」と批判が出てもやむを得ないのではないかとも感じる。