いじめパンフ掲載の「いじめ」ケースに驚きと戸惑い:兵庫県

 神戸新聞が2019年6月8日、『教えて泣いたら「いじめ」 県教委のチラシに保護者ら戸惑い』とする記事を掲載した。

 兵庫県内の学校で2019年春に配布されたいじめ啓発パンフレットとして、以下のような事例を「いじめ」と扱う内容があり、保護者から複数件の問い合わせがあったという。

 「A子は算数の時間に、問題を一生懸命解いていた。しかしあと一歩のところで解けずにいた。隣の席の算数が得意なB男は、A子の困っている様子を見て、解き方と答えを教えた。A子はくやしくて泣きだした」

 このケースでは「いじめではないのでは」「むしろ親切心では」と思う場合も多いかもしれない。

 記事では、作成の意図を兵庫県教育委員会に取材している。

 記事によると、この事例自体は文科省の手引きに掲載されていたものを使用し、兵庫県教委独自で考案したものではないとされる。

 その上で、「一定の人間関係のもとで」「被害者が心身の苦痛を感じている」とする「いじめの定義」に照らして考えると、いじめになりうる場合があるとして、以下のような見解を示した。

 「保護者から『これがいじめになるんだったら教え合いもするなというのか』などの意見も何件かいただきました。もちろん、単純に『教えてあげる=いじめ』ではありません。ですが、教えられた子がすごく嫌だと感じ、日常的に勉強ができないとからかわれるなど両者や集団内の関係性によっては、心の傷を負わせ、深刻な『いじめ』につながることもある。そのことを知っていただきたいと」

 確かに、この状況を単純に「いじめ」と指摘されると、驚きや戸惑いが生じるのは当然ではあろう。

 その一方で、県教委が指摘しているように、教えた子どもと教えられた子ども、そして学級集団の関係性によっては「いじめ」になりうるという指摘は、荒唐無稽なものや難癖のたぐいではなく、きっちりと踏まえておかなければならないものである。

 その意味では、あえて衝撃的な事例・世間一般での理解を突き破るような事例を出して保護者への啓発を図った、兵庫県教委の意図も理解できる。

 もちろん、この状況をすべて機械的に「いじめ」と認定するのも、親切心や学級内での助け合いを「いじめ」と決めつけられるケースも生じかねないので、当然のことながら不適切である。

 当事者間や学級集団間の関係性を個別に見極めていくことが重要になるといえる。機械的に事前想定ケースに当てはめるのではなく、個別の状況に応じて適切に判断することが重要になってくる。